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🔴今の僕らは、先人の幾多の犠牲の上に






こんなのをみつけた。

いろいろと考えさせられた。

あまりにも大事なことと思われたので

文章を書き出した。

その途中で、思いをはせると

幾度とでた。

この事実を感じられないとしたら・・・
















🔴大東亜戦争 武士道精神



当時、世界は白人たちによる白人至上主義、有色人差別が蔓延していた。

欧米諸国によるアジア侵略と植民地化という時代が続き、有色人種(アジア諸国)は

白人により搾取され、奴隷として支配されていた。


この支配が未来永劫続くかもしれてい世界背景の中、世界最強と謳われた『超大国』

ロシアを破り『白人優位、白人腐敗』の神話を崩壊せしめ有色人種国家で

唯一『列強国』となったアジアの小さな国があった。


その小さな国は人種差別撤廃・人種平等を世界に訴え続けた。


1919年、国際連盟に人種差別撤廃条項を盛り込むよう提出。

欧米列強によって分割・植民地支配されていたアジア・アフリカ地域の民衆も

その提案を支持した。


閣議では11対5と賛成多数となったが、あっけなく否決された。

議長のアメリカがこれを採用しなかった。1933年、常任理事国だったその国は

国際連盟を脱退。国内世論は拍手喝采で迎えた。


その国 日出ずる国 日本。


日本は、大東亜共栄圏のスローガンの元、欧米の苛烈な植民地からアジアを開放していった。


これは有色人種の白色人種に対する壮絶な巻き返しであり、当時その力と気迫をもっていた

のは日本だけだった。


その結果、欧米と衝突。


アジア諸国に対する日本の勢力拡大を警戒したイギリスやオランダ、アメリカなどの

周辺諸国は、日本への資源輸出を制限した(ABCD包囲網)により、石油等の輸出を完全に

停止した。


大半の資源を外国から輸入していた日本にとって、経済封鎖は、

・・・・・死を意味した。


それでも・・・日本は戦争回避の交渉を求め続け、和平を切望した。


しかし、米国から提示されたのは、タイムリミットなき最後通牒『ハル・ノート』だった。


その内容は到底受容できるものではなかった。


『奴隷か戦争か』


アジア地域を植民地化し、搾取した侵略者は欧米諸国であり、当時の日本もその毒牙に掛かった。


白人至上主義が続く限り、この戦いは避けることのできない運命・・・


平和を取り返すため、そして人間の尊厳を守るため、有色人種としてアジアで唯一、

欧米列強に立ち向かう決意に至る。


対米海戦やむなし!


米国の戦力は約30倍。米国だけではなく世界7ヶ所(米英仏蘭中ソ豪)を相手に、

どう見ても勝ち目は無かった。


しかし、抵抗なき敗北では、アジア諸国のように、隷属になるだけだ。


日本人は隷属を選ぶ民族ではなかった。


未来の子孫達が虐げられることなく、日本が独立国家であるためには、民族の不屈精神を

誇示し、敵に恐怖観念を植え付ける必要があった。


圧倒的物量差・戦力差への『特攻』『玉砕』の『一億総特攻』


『武士道精神』世界に知らしめんとす。


戦わざれば亡国、

戦うもまた亡国であれば、


戦わずしての亡国は身も心も

民族永遠の亡国である。


戦って死中に活を見出し、

護国の精神に徹するならば


たとい戦いかたずとも、


護国に徹した

日本精神さえ残せば、

我らの子孫は必ずや


再起、三起するであろう。


    永野 修身 元師海軍大将


大東亜戦争は、欧米列強による世界支配を日本が阻止した戦いであり、

全世界の有色人種を担った戦いだったのである。


こうして日本は三年半にも及ぶ大戦争に突入していく。


一玉砕兵の真情を吐露した哀切な詩がある。


もし玉砕して、そのことによって祖国の人たちが、少しでも

生を楽しむことができればと、せつに祈るのみである。


遠い祖国の若き男よ、強く逞しく、朗らかであれ。

なつかしい遠い祖国の若き乙女たちよ、清く美しく、健康であれ。


この絶唱から何を読みとるか。貴方の魂が試されるときでもある。

   著/北影雄幸『日本人の勇気』


昭和16年12月8日 日本はハワイの真珠湾を攻撃、太平洋戦争が始まった。

かつて日本の零戦の性能・パイロットの技量は世界一といわれ、敵機は、

零戦一機に対し2~3機で対応していたほどだった。


開戦直後は連戦連勝、破竹の進撃を続けたが、昭和17年のミッドウェー海戦で

大敗し、戦局は逆転。


もはや通常航空攻撃では戦果を期待できぬと判断した大西瀧治郎中将は、

起死回生の非常手段として、爆装した零戦を搭乗員ごとに敵艦に突入させる

という世界戦史に例を見ない戦法を発案した。


昭和19年10月25日 神風特別攻撃隊『敷島隊』出撃


特攻隊員は、全国から集められた精鋭搭乗員で、

卓越した運動神経と高学歴のエリート達だった。


戦争末期には、機体不足により旧式の機体で出撃していたため、

敵艦に辿り着くまでにほとんどの機は撃墜された。


特攻は終戦の日まで続いた。特攻作戦での戦死者は5845名

みな前途有望な若者達だった。


昭和18年12月『学徒出陣』

約10万人の学徒達がペンを捨て銃剣をとり、戦地に赴いた。

敗色濃い前線で彼等が投入されたのは、あらゆる種類の『特攻』作戦だった。


秋雨の明治神宮外苑の陸上競技場で65000人の女子学生や後輩が見送った。


昭和20年4月1日 『米軍沖縄上陸』 日本国内で最大規模の陸戦となった。


米軍による陸海空からの猛砲爆撃は、地形が変わるほどの激烈をきわめた。


『鉄の暴風』『鉄の雨』とよばれ

その悲惨さは『あらゆる地獄を一ヶ所に集めた』と表現されるほどだった。

多くの住民が巻き込まれ、民間人も含め15万人の尊い命が失われた。


昭和20年8月

広島・長崎『原爆投下』

人類史上初の都市部を対象にした核攻撃だった。


原子爆弾により、

35万人以上の国民が犠牲になった。(原爆死没者名簿)


非戦闘員(一般市民)を殺害することは、

重大な『国際法違反』であり、

原爆投下はあきらかな『大虐殺』である。

いかなる正当化も許してはいけない。






今の日本の繁栄は、

先人達の犠牲の上に成り立っている。


私達が生きている今は、

先人達が命懸けで守ろうとした『未来』なのだ。

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